こんにちは。
布団を干そうと重い腰を上げた日に限って、雨が降りがちなスミ子です。
「脱サラして農家はじめました!」
仲の良い友人が突然こんなことを言いはじめたら、驚きません?
私だったら一旦話を聞いて落ち着かせにいく。間違いない。
と言いつつも、実は私たち夫婦はまさに今そんな環境に身を置いている。
毎日CMで見かけるような、名前を知らない人はいない大企業。
そこに勤めていた私たち夫婦は、安定を捨てて、今は千葉の田舎で農業を生業にしている。
―なぜ大企業を辞めてまで農家になったのか
―移住後の心境の変化・暮らしに起きた変化
―これからのお金の不安
私たち夫婦がどんな決断をし、なぜその道を選んだのか。
初心を忘れないためにも、記録していこうと思う。
夫婦で大企業を辞めて「農家」へ転職した理由
私たちが夫婦で脱サラして農家へ転職する決意をしたのは、
”結局農業が好きだった”
”後悔のない人生を送りたかった”
から。
私たち夫婦が私たちらしくあるために必要な決断だったし、間違いはなかったと言い切れる。
夫婦で選んだ「たくさんの選択」
そうは言うけども、この結論に至るまでに、たくさんの選択と苦悩があった。
まずは少し、ポールの背景についてお話しさせてもらいます。
農家の長男として生まれたポール
ポールは千葉県にある農家の長男として誕生した。
出生体重は4000g近く。生まれたときからビッグな男だった。
そんなポールの家庭はお米を中心に、季節の野菜を栽培・販売して生計を立てている農家。
それはポールにとって「当たり前の毎日」であり、「興味深く面白い毎日」でもあったそう。
ところがポールは大きくなるにつれ、あることに少しずつ違和感を感じていくようになった。
「跡取り」という重圧
ポールは幼いころから、事あるごとに「跡取り」として見られることが多かった。
祖父母・両親・周囲の人たち。
彼らから無意識のうちに向けられた「跡取りのポール」という像は、
将来に様々な選択肢を持つはずの幼いポールの背中に
少しずつ少しずつ
のしかかっていった。
そして年を重ねるにつれ、
「”跡取り”ではなく、”僕”という人間を見てくれる人はいないのか?」と、強い疑問を抱くようになった。
そして「農家」という世界を離れて一人で外の世界を生きてみたいと考えたポールは、
淡々と就職活動を続け、結果、大企業の内定を獲得。
北海道で社会人として生活していくことを家族に事後報告し、一人北海道へ向かうことを決めたのだ。
会社員としての挑戦と出会い
ポールが北海道で暮らし始めた数年後、
私スミ子も猛烈な就職活動を経てポールと同じ会社に内定し、北海道への配属が決まった。
(この時の就活が辛すぎたので、記憶に蓋をしている)
食品の製造を主とする業務。
分かっていたけれど、その仕事は想像以上に大変なことの連続だった。
長い物には巻かれろで、異を唱えにくい社風。
部下を駒としてしか見ない上司。
女子の腕力ではどうにもならない体力仕事も多い。
”正社員なんだから”と両親ほどの年の契約社員さんに、仕事を押し付けられることも。
そんなストレスフルな日々の仕事も、終わってしまえば若手で集まって飲み歩く毎日。
早朝4時。
気温マイナス20℃の中、だんだん白んでくる空を見ながら帰宅したこともたくさんあった。
同世代の仲間たちとはしゃぐのは本当に楽しかった。
そして、この「仲間たち」の中にポールも含まれていた。
日々の仕事・飲み会と、公私ともに共有する時間が多くなった私とポールは
次第にお互いの人柄に惹かれ合い、付き合うことに。
休みの日には北海道の大自然を満喫。
2人だけの穏やかな時間の中で、何にも代えがたい時間を積み重ねた。
「農家に挑戦したい」ポールの決意
ポールと付き合って数年経ち、2人の間に結婚の話が出た頃。
ポールが私にこう告げた。
「実家に戻って、農家を継ぎたい。ついてきてほしい。」
定期的に届く仕送りの中に、たくさんの美味しい野菜たち。
家を離れたからこそ、両親がどんな思いで自分を育ててくれたのかがよく分かる。
跡取りがなく離農する農家も多い中、両親2人だけで大規模な農園を守ってきたことの偉大さ。
何より、農家の仕事が嫌いなわけではなかった。
跡取りとしてしか見てもらえないこと。
自分の将来の選択は、たった一つしかないのか?と気づいた時のこと。
そんなジレンマに苦しんできたポール。
家を離れて見えたこと、気付いたこと。
やっと気持ちが固まったようだった。
「何があってもポールに添い遂げる」私の決意
ポールの実家が農家をやっているということは、付き合った当初にポールから聞いて知っていた。
とはいえ、今の仕事を手放して農家をやりたい、というポールの決意に最初は私も驚いた。
だって正直、この会社に居たら一生安泰だよ?
福利厚生もいいし、家賃もほとんどかからない。
本当に辞めちゃうの???って。
とは言うものの、ポールがこの決断をしたら私は絶対に彼についていくと決めていた。
付き合い始めてしばらく経った頃、私は人生で最も大きな失敗をした。
ここでは詳しく書くことはしないけれど
私自身もしばらく立ち直れず、私を支えるポールも同じように苦しんだ。
なのにポールは、そんな廃人同然の私を見放すことはなかった。
この出来事があったからこそ、私は「ポールに一生添い遂げる」と心に誓っていた。
恩返しが出来るわけではないこともよく分かっている。
だけどあの時、私を見放さずにずっと支えてくれたポールがいたからこそ、今の私がある。
だから、ポールが悩んで出した「農家に戻る」という結論に驚きはしたものの、
ある意味では私の心には何の迷いもなかったように思う。
結婚、出産、引っ越し。そして会社を辞めるまで
会社を辞めると決めてからは、いろいろと逆算をした。
結婚したら会社からお祝い金が出るから、今のうちに入籍しよう!
福利厚生が手厚いから、会社にいるうちに産休育休を使おう!
もうすぐ転勤かも…となれば、引っ越しも会社のお金で出来るよね!
タイミングを相談しよう!
なんて、もうそれはそれはずるいこと大事なことを考えて、大手にいる旨味を享受しまくった。
※もちろんその間の仕事はちゃんと責任をもってやらせていただきました。
そして会社を辞めて農家になると告げると、大抵の人は驚きつつも応援してくれた。
中には「ここまで育ててやったのに。会社への不義理だ」というニュアンスの嫌味を言う上司もいた。
転職が当たり前になりつつあるご時世で、古い価値観を捨てられないかわいそうなおじさんだなあと受け流した。
そして2025年、ポールが受け持つ仕事に一区切りがついたタイミングで退職。
私たちの農家ライフがスタートした。
移住後の暮らしの変化
突然始まる「スープの冷めない距離」暮らし
ポールの実家には一応居住スペースの空きがあったが、まずはポールの実家近くに賃貸を契約した。
いきなり一緒に住んでしまっては、互いに気を遣いすぎて疲れてしまうと考えたからだ。
実際、住む場所は別にしてよかったと思う。
気を遣うから、というのが専らメインの理由になっているが、
こと私は、日ごろ風呂上りに半裸でうろつきがちなので
「のびのびと半裸になれる」ということは私にとってとても重要だ。
また、私たちは”自分たちの家が欲しい!”という願望があまりない。
(下調べ、設計、お金のこと…面倒くささが圧倒的に勝つ)
とはいえ今後、本格的に仕事を継いでいくことを考えると
やはりポール実家の敷地内に住むに越したことはないので、
敷地内同居?二世帯住宅?このまま賃貸暮らし?
どうしていくかは、またおいおい追記していこうと思う。
月々の食費が半分に…?これが農家パワー
引っ越して最も驚いたのが、「食費が以前の半分になった」ということだ。
ポールの実家では、お米を中心に季節のあらゆる野菜を手広く栽培している。
なので旬の野菜には困らない。
また、以前は高くてあまり買えなかったフルーツも、今では毎食のように食べている。
というより、毎食食べないと消費が追い付かないのだ。
昔からお付き合いのある親戚がメロン農家をやっていたりしたものなら、
規格外で市場には出せないけど普通に食べられるメロンが、10玉とか届いたりする。
のどが乾いたらメロンをかじる。
アントワネットもびっくりのブルジョワぶりである。
また、海が近いこともあって、知り合いの漁師から大量に魚が届くこともしばしば。
おかげさまで引っ越してからは、アジの三枚おろしやイワシの手開きなど、
魚さばきスキルがみるみる向上している。
会社員時代では考えられなかった食生活だが、何より、
子どもたちに旬の食材を食べさせてあげられるというのは本当にうれしい。
先行きが暗いと言われる日本に住むうえで、
「自給自足できる」という強みは非常に重要だと思う。
転職後の収入は会社員時代の”半分”に
転職をするうえで、やはり最も心配な要素は「金銭面」のことだった。
農家としての収入は、会社員時代の半分になる見通しだ。
会社員時代は共働きで収入を得ていたので、世帯年収はかなりの額だった。
現在はポールの実家が営んでいる農場の従業員として勤務している形になっている。
基本給+野菜の売りあげ+作業費が給与として支払われることになっているが、
天候などによって売り上げも大きく変わってくるので、収入は不安定だ。
とはいえ、先代たちの築いてきたネットワークや新業態への参入等により、
日々暮らす分には困らない収入にはなっている。
本音を言えば不安だけど、楽しみが大きい部分もある。
「自分たちの頑張り」が収入にモロに影響してくるので、
頑張らなければ!という意欲がむくむく湧いている。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
大企業を辞めて農家になったことで、「安定」はなくなってしまったけれど、
私たち夫婦が後悔ない人生を送るうえで大事なスタートは切れたかなと思う。
新規就農ではなく実家の農家に入っているので、右も左も分からない状態ではない。
周りの人たちにたくさん支えられて、新たな生活を送ることが出来ている。
周りの人がしてくれたように、今あるご縁を大切に。
これから、農業という仕事を通していろいろな恩返しをしていきたい。